松下資料館 トップページ>館長からのメッセージ

館長からのメッセージ

Panasonic(パナソニック)ブランド誕生秘話
2010年9月

 松下電器の社名がパナソニックに変更されて、そろそろ二年になり、その呼称も定着してきたように思います。

弊資料館へのご来館者も、この社名変更に対しては、当初から好意的なご意見が大半で、「パナソニック」のブランド誕生の経緯についてのご質問をよく頂きます。

 ついては、今回は、そのいきさつについて簡単にご紹介いたします。

 松下電器が、アメリカでの事業促進のために、アメリカ松下電器(MECA)を設立したのは、1959年9月でした。当初は、社長・松下幸之助、副社長・Dr馬淵、現地採用のアメリカ人2名、そしてそれまで日本人として初めての駐在員をしていた藤井一徳氏と、常勤者わずか4名でのスタートでした。

 松下電器の製品の販売にあたって、当初、日本と同じように、ナショナルのブランドを使用したいと考えていましたが、アメリカではすでにナショナル金銭登録機が商標登録されていたため、やむを得ず、様々なブランドが考えられ、使用されました。

 それは、M.E.I.CO., MACO, Kadomax, MATSUSHITAとめまぐるしく変遷しましたが、いずれも市場になかなか支持されなかったようです。

 その頃、松下電器のスピーカー(8P-W1)は、ある代理店がPanasonicブランドで販売していましたが、音質の良さからオーディオ専門誌で絶賛を浴びていました。そのことが紹介されていたオーディオ雑誌の広告を見た藤井氏は、「このブランドだ!」、とひらめき、その代理店の社長にPanasonicのブランドで当時の主力製品であったラジオを販売したい旨相談したところ、快諾して頂いたとのことです。

 早速、当時の松下電器幹部の了解を得るべく、何度となくPanasonicブランド使用の意義を訴えたようですが、なかなか理解が得られず、進退きわまった藤井氏は、当時の社長、松下幸之助に直訴したそうです。

 松下幸之助はその時、「このPanasonicというのは、君だけが使いたいと思っているのではないな。代理店さん、販売店さんが要望しておられるのか?」と問うたところ、藤井氏は、「ニューヨークの主力ディーラーが賛同しています」と答えたとのことです。すると松下幸之助は、「そうか。よっしゃ、君の言うようにしよう。但し、一年や。一年で結果を出しなさい」と藤井氏の提言に理解を示し、その場で結論を出してくれたとのことです。

 以上が、Panasonicがアメリカでのブランドとしての使用が正式にスタートした経緯の概要です。

 藤井氏はじめ当時のアメリカ松下電器の関係者も、窮余の一策で使用され始めたブランドが、まさか、今日では社名になり、世界共通のブランドになるとは、夢にも思わなかっただろうことを思う時、一人の社員の熱意と行動力が、企業の歴史とその未来を大きく変えていく力になるのだとの思いを強くします。

(本記述は、「MECAと私の青春譜」を参照、引用しました) 

皆様のご来館をお待ちしております。

財団法人 松下社会科学振興財団
松下資料館 館長 川越森雄

過去の記事はこちら最新の記事はこちら