松下資料館 トップページ>資料館のご案内>経営研究活動>活動内容

経営研究活動

松下幸之助生誕120年・松下資料館創設20周年 記念講演会 「感動が生まれるおもてなしの心」

「松下幸之助のサービス哲学」

PHP総合研究所元取締役/現・公益財団法人松下社会科学振興財団評議員
谷口 全平氏

私のテーマは「松下幸之助のサービス哲学」ということでございます。今日は、松下幸之助さんのことをさん付けで呼ばせていただいてもいいでしょうか。上司ですのでね、あるいは同僚といいますか、ですので、本当は呼び捨てでないと、さん付けではいかんのでしょうけど、今日は親しみの意味も込めまして、さん付けでやらせていただきたいと思います。

幸之助さんは、平成元年の4月27日に94歳で亡くなっています。ですからちょうど今年が没後25年になるわけですね。ここの資料館の創設20年とそれから生誕120年と、ちょっと記念すべき年じゃないかなというふうに思います。

亡くなったその日のことを実は思い出すんですね。私はちょうどこのビルで仕事をしておりましたけれども、何かの会議に入っておりまして、10時半ぐらいだったと思うんですけど、京都新聞のある記者から私に電話がかかりまして、「今、松下さんが亡くなられました。京都で親しくされていた著名人を何人か挙げてほしい」と。びっくりしましてね。と言いますのは、その一ヶ月ほど前に私の上司が報告に行ってたんですね。帰ってきて、たいへん元気だったというふうに聞いておりましたから、まさかと思いました。そしてすぐに松下電器の秘書室に電話をしまして、「今、このような連絡が入りましたが、どうですか」と聞いたら、「いや、まだ連絡が入っておりません」と言うんですね。記者の人が、病院に張り付いていたらしいんですよ。それでどうなってるんかなあと心配しておりましたら、テレビがどんどん報じ始めまして、そして昼になりましたら号外が出始めたんですね。その当日、各紙号外を出している。これは日経ですけれど『一代で世界企業築く。94歳、経営の神様の異名』。こういう見出しの号外ですね。毎日新聞は『家電王国を築いた経営の神様』。朝日も読売も、五大紙全部、京都新聞もちろん出している。いよいよ亡くなったかという、愕然とした記憶がございます。それからもう早いもので25年が経ちました。

私は1964年、昭和39年ですけれども、実は松下電器に入ったんです。あそこは結構実習を重んじる会社でして、三ヶ月半ほど京都の販売店ですね、ショップ店というナショナル専売店、そこで実習をしておりました。テレビのアンテナを立てたり、テレビや冷蔵庫を運んだり、ということでしたけれども、その後また三ヶ月半ほど今度は工場実習。これは門真にございます変圧器事業部というところで、トランスという電柱の上に置かれているものですけれども、それを作る工場におりました。その後配属ということで、本社に集められましてね、どこ行くんだろうと。人事部長が来まして、「君は出向してもらう」と。「どこですか」と聞くと、「PHP研究所というのがあるんだ。これは松下幸之助さんが個人的にやっている組織、法人で、そこから一人寄越してくれと言われてるんで、君、行ってくれ」と。まあ、「創業者の側で3、4年勉強をするのもいいのではないか」ということでした。それにちゃんと門真の松下の本社に迎えの人が来てましてね。それで連れて行かれたのが、京都の南禅寺にあります松下幸之助さんの別荘、真々庵でした。そこへ連れて行かれたわけですね。行ったのが11月28日、幸之助さんの誕生日が11月27日ですから、誕生日の次の日ですね。

昭和の年代というのは、松下幸之助さんの年を数えるのにたいへん便利で、30足したらいいんです。11月27日までですが、30足したら松下さんの年になる。ですから私が入ったのが昭和39年の11月28日ですから、ちょうど70歳になったばかりの時なんですね。

真々庵というのは、ご存知の方も多いと思います。先月号の『文芸春秋』の写真ページに取り上げられておりましたけれども、1500坪、5000m²の池泉回遊式の庭を持った邸宅。これは昭和36年に幸之助さんが社長から会長に退いた時に、これからもう少しPHP研究の時間が取れるだろうということで、どこかいい所がないか探し求めておったところ、京都財界の染谷さんという、昔カネボウの筆頭株主をされていた方が邸宅を売りに出されていて、縁があってそこを買いまして、別邸兼PHP研究所にしたわけです。

« 講演会へ戻る