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経営研究活動

松下幸之助生誕120年・松下資料館創設20周年 記念講演会 「感動が生まれるおもてなしの心」

「松下幸之助のサービス哲学」


後でいろいろ話を聞いていきますと、こんなことがあったんですね。昭和20年代ですけれども、銀座5丁目に、米倉さんという方がやっている米倉理髪店というのがあるんです。これは古い理髪店で、結構高いんですけどね。大阪ではリーガロイヤルホテルにございます。それから京都もリーガロイヤルホテルにございますけれども、幸之助さんは東京へ行ったら、いつもそこへ行ってたんですね。昭和20年代、ある時に行きましたらね、ご主人から「松下さん、もうちょっと頭に気をつけなあきませんで」と。銀座4丁目に、ナショナルの看板があったんです。看板というかネオン灯がね。四角のナショナルと書かれた結構有名なネオン灯でしたけれども、ご主人が言うには、「あんたの頭はあのネオン灯みたいなもんですよ。ボサボサにしていたら商品も売れなくなりますよ」と。そういうことを言われて、たいへん感激したわけですね。〝よう言ってくれた、確かにその通りや〟と。自分もしっかりと身だしなみには気をつけないかんなということを感じたらしいんですね。その時、チップを弾んだというふうに本人は言ってますけどね。その時以来、月に何回か行くようになったわけですね。

お配りしたレジメに「経営者の物腰、態度で会社のイメージが変わる」というのがあります。会社のイメージを良くするために、態度・物腰に十分気をつけなければならないというようなことを言ってますけれども、結局そういうことで、米倉さんから注意されてよりきちんとするようになったと。

もともと律儀な人で、病院で入院している時でも、お客さんが来たら背広に着替えてました。晩年、研究会でこっちへ出てくるのがたいへんだから病院へ来いということで、松下病院の一室で待っていたわけですね。そこへ行ったら、背広にきちんと着替えて出てくるわけです。明治の人ですから、そういう律儀さというものがありました。特にそういうことにも気をつけていた。それも一つのサービス。やはりそうした方が感じがいいだろう、喜んでくれるだろう、そういうことだったと思います。

昭和40年だったと思うんですけど、奥さんのむめの夫人と、一緒に真々庵に来ていたんですね。庭を見ながらサロンに二人座って、幸之助さんは暑いのか、上着を脱いで、私と上司がたまたまその後ろに立っていたんです。どういうわけで部屋に入っていたのか忘れましたけど。見ると、肩を凝らしたのか、ぐるぐるぐるぐると回しているんですね。横の上司を見ますと、〝揉め、揉め〟というジェスチャーです。〝揉まないかんかなあ〟と思いながら、ちょっと行きかけたら、「あかんあかん」と。白いカッタ-シャツでしたから、素手で揉んだら汚れるというわけですね。台所へ行って日本手ぬぐいを借りまして、肩にかけて「お揉みしましょう」と言って揉み始めたんですね。たいへんなで肩でした。自分でも「骨と皮みたいなもんや」とよく冗談を言っておりましたけれども、たいへんストンとしたなで肩の人でした。揉み始めたら「君、上手いやないか。お父さんやお母さんの肩、毎日揉んでんのか」と。いやいや、そんなことはないわけで結構久しぶりですけれど、それでも気持ちよく揉むことができました。そうしますと、いろいろ家族の事を聞かれたりして、たいへん身近に感じるといいますかね。これが「君、下手やなあ。もっとお父さんやお母さんの肩を揉んで、練習しんなあかんで」というようなことを言われますとね、ちょっと気持ちよくなかったかなと思うんです。

これも後日談がございましてね、私は松下さんの肩を揉んだのはあまりいないんじゃないか、ひょっとして社員の中で自分だけじゃないかなと密かに思っておったんですけど、ある松下電器の幹部の方が定年退職されまして、会社生活を振り返った本を自費出版されたんです。私ももらいまして、目次を見たら、「松下創業者の肩を揉んだ話」というのがあるんですね。読んでまた驚いたんです。揉み始めるとこう言われた。「君、上手いな。子供の頃、お父さんやお母さんの肩、よう揉んでたんとちがうか」と。私の場合とはちょっとニュアンスは違うんですけれども。しかしそういう言葉が、ふっと出てくるんですね。これはいい面を見ていないと、なかなか出てこない。美点凝視といいますかね、いい面を見ていないとなかなか出てこない言葉ではないかなと思います。

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