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経営研究活動

松下幸之助生誕120年・松下資料館創設20周年 記念講演会 「感動が生まれるおもてなしの心」

「松下幸之助のサービス哲学」


ある時、「この間、ちょっと空けといてくれ」と指示がありまして、「何でですか」と言うと「いや、ここへ座る人はちょっと太っている人や。ちょっと、そこ空けといてくれ」そんな細かい所まで指示をしたことがございます。そんな細かい所まできちんとやりなさい、ということなんですね。葉っぱなんかは、苔の上にいくらか落ちている方が情緒があるんではないかなんて、よく我々の中では言っていましたが、しかし幸之助さんとしては、ビシッと何もないといいますか、それが一番、やはりそれを良しとしていました。工場がきっちりしていなければならないのと関連があるのかもしれませんが。ですから途中で落ち葉が落ちてくると、また拾いに行ったり、そういうことまでやっていたことがございます。このように徹底的に幸之助さんは来客に対しては気を遣っていました。

そして帰られる時には必ず玄関まで見送りに出る。来られる人は、だいたい車で来られる方が多いんですね。もちろん歩いて来られる方もありますけれども、車で来られる。そうしますと表まで出て、そして車がずっと南禅寺の方へ向かって見えなくなるまでお辞儀をしているんですね。

これについては、真々庵だけではなく、松下電器の本社でもそうでしたし、東京本社の会長室、相談役室、そこでも同じような形でした。東京は部屋が5階でしたので、5階のエレベーターの所まで行って、深々とお辞儀をして。これが皆さん、たいへん感激されるんですよ。まだお辞儀をしていると。これについてはいろいろな人が文章に書かれています。「後ろを振り返ったら、松下さんがまだ見送ってくれていた」と。

ちょうど亡くなった日の平成元年の4月27日ですけれども、その翌日の朝刊、全紙、五大紙の帯記事がありますね、「天声人語」とか「余禄」とか、あれに全紙、松下幸之助さんの思い出が書かれていたんです。これらはPHPで保存していますけれどもね。その中で、毎日新聞の「余禄」ですけれども、「大阪門真の松下本社に初めて松下さんを訪ねて帰ろうとして、車の中から振り向くと、玄関で松下さんが深々と頭を下げていた。ほんの駆け出し記者を相手に、前垂れ商法を絵にしたような姿が、これまた鮮烈」と、こういうことを書いてくれています。新人の頃に行かれたんでしょうね。それに対して深々と頭を下げてくれたと。やはりたいへん感動されたんですね、思い出として書かれているということは。

真々庵でも、いろんな人がそのことを書かれているということは、それだけファンを作ってきたということじゃないでしょうか。若い人に対しても差別なく、そういうことを出来た、やってきた。それによってファンをどんどん増やしてきた。そういうことがあるんじゃなかろうかというように思いますね。

こういう気配りは、昭和45年に千里丘陵で行なわれた大阪万博でも見られました。松下電器は松下館を出展しまして、その時に、建設途上に度々行ってるんですよ。出来上がってからも何回か行っています。例えば建設途上では、池を作って、真ん中にパビリオンをおいたんですね。それで橋をつけて、行かれた方もあると思いますけれども、そこへ上がるのに石段を作った。ある程度出来上がった時に見に行って、係りの人に「ちょっと下駄を持ってきてくれ」と。どうしてかなと思って下駄を持っていったら、幸之助さんはそれを履いて、トントントントンと上ったり下りたりしているわけですね。「何ですか」と言うと「田舎の方から下駄を履いて来られるかもわからん。下駄を履いて上り下りしたら、そこでひっくり返られるといかん。それで試してるんや」ということでした。その後で、段差が高すぎる、それを低くして、奥行きをもう少し長く、という指示を出しています。そして、「建設の方は、専門の建築家に任せているからといって任せっぱなしではいけない。もっとお客様の立場に立って細かいところに目を向けないかん」ということを言われたらしいです。そんなことがありました。

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