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経営研究活動

「松下幸之助と素直な心」

「松下幸之助と素直な心」

株式会社PHP研究所
客員 岩井 虔氏

 私は大学は、京都大学なんですが、大学院に入りまして心理学研究室というところにおりました。担当教授が「お前、これからどうする?」という話になりまして、「どこか勤める気はないんか」と。「いやいや、適当なところがあれば」と言ったら、「松下電器から今、話がきているけど、どうや」と。「えっ、松下電器?どんな会社ですか」と。よく知らなかったものですから。「あそこはな、おもしろい経営者がいてな、若い人になんでもやらしてくれる会社らしいわ。先輩も行ってるから、興味があれば聞いてみ?」と。「そうですか。若い人になんでもやらしてくれる経営者がいる会社。おもしろそうやな」と思いながら、会社をお訪ねしまして、先輩に聞いて、面接をしてもらって、そして途中で入った男なんですね。本社の広報課で、社内報担当を命ぜられまして、松下電器の『松風(しょうふう)』という雑誌型の社内報編集を担当しておりました。その時は松下幸之助さんは、社長さんなんですね。でも途中入社なもんですから、お話を面と向かってうかがったことは全くなかった。一年半ほど仕事をしておりましたら、本人が社長から会長に退任すると言い出した。本人66歳の時です。会長になったら時間ができるかなと思われたんでしょう。昔やっていたPHPを本格的にやりたいと。京都の南禅寺の近くに真々庵という屋敷がございますけれども、そこを事務所としてつくって、そしてPHPをもういっぺんやりたいと願われたんでしょうね。私の上司に当たる人が行くことになりまして、私もある日、呼ばれて、「お前、今日、松下会長の面接がある」と。「は?何をすればいいですか」と。「いやいや、聞かれたことに返事をすればよろしい」ということで、新しい会長室に連れて行かれたんですね。ご挨拶をして「まあ、座れや」と。座らせていただきました。「君はいったいどんな勉強をしてこられたんか」と。関西弁ですけどね、聞かれるんですね。「はい。私は教育学部というところで学びましたけれども、その中でも特に方法論として心理学の研究を主にしてきました」と申し上げた。「ほう、心理学かね。心理学てどんな学問か、わしに教えてくれ」と、こうおっしゃるわけですね。この人が松下幸之助さんかと感じながら、緊張もしておりますしね。それをどんな学問かと言えいうわけですから、かっこいい学問と言っておこうと思いましてね、言い始めました。しばらく話したと思います。パッと幸之助さんの右手が出てきましてね、「君、ちょっと待ってんか」と、こう言われる。「君、知ってるかどうか知らんがな、わしは小学校も満足に出てない男なんや。難しいことを言われてもわからんのや。君、すまんがな、その心理学とやらをわしにわかるように一言で説明してくれるか」と言われたんですね。緊張もしておりまして、かっこいい学問と言っておこうなんて変なことを考えましたんで、それを言いかけておりましたからね、それをストップと。「もうゴチャゴチャ言うな。そんな枝葉末節はどうでもよろしい。わしにわかるように一言で」と。私、どうなったか、全くだらしがないんですけれども、上がってしまったんですね。真っ白になりました。覚えてないんです、何を言ったか。何か言ったと思うんですけど。サッと質問をかえられましてね。ご両親ご健在かと。兄弟何人、何してると。君、社内報の仕事を今、してるらしいな。おもしろいかと。これからどういうふうにそれをもって行こうとしてるんやと。この一連の質問はわかりやすい質問ですからね、だんだん私も落ち着いてきて、本音が言えるようになってきましたけど。「君、何をやりたくてこの会社に入ってくれたんかね」と、そういう口調なんですね。考えてみると「入ってくれた」と。「入れてやった」じゃないんですね。この会社を選んで入ってくれてありがとうよという気持ちが滲み出てくる言葉で、いつの間にかこの人は話せる人だなあと。聞き上手でね。教えてくれというふうなことで、私のような者にも耳を傾けてくださる方というような、非常にそういう意味ではコミュニケーションの取りやすい方だなというふうに思ったのが最初の印象であり、大失敗の体験でもございましてね。私としては、帰り際に上司に連れてこられましたからね。「すみません。今日、上がってしまいまして」と言ったら、「まあまあ、あとで本音が出てたから、あれでよろしい」と慰めていただきましたんですが、松下幸之助さんにもお許しいただいたんでしょう。「お前もPHPに行け」ということになりまして、私25歳の夏にPHP出向ということが決まりました。南禅寺の近くに、真々庵というんですけれども、そこが事務所ですので、今は綺麗なパナソニックのゲストハウスになっておりますけれども、私が行ったときには塀も朽ちてましたし、蜘蛛の巣だらけの荒れ屋敷という感じですね。今日から宿直を命ずると。何人かで宿直を分担しまして、夜になると、裏が動物園なんですね。ギャーギャー動物が鳴くしね。寂しいとこやなと思いながらね、でも宿直をやったことを覚えてます。だんだん綺麗になりまして、そして8月18日という日が開所日になりましてね、それから本格的にPHPの所員としての生活が始まるわけです。
 これからいろいろお話をさせていただくんですが、皆様方は松下幸之助さんにお出会いになっている方は本当に珍しいと思いますので、映像を先にかけましてね、こんな人だったなというのをまず観ていただいてと思います。今日、ご紹介するのは88歳のときの映像です。きわめて珍しい、というのは、80を越えてからちょっと声帯が悪くなってきまして、人前で話をすることを避けておりました。これは特に外人の経営者の前で、YPOというYoung Presidents’ Organizationという世界の経営者の集いがございます。その大会が日本でありましてね、日本であるんなら幸之助さんに是非にということで頼まれまして、無理に出て行ったようなところがございますけれども、90分の半分は話と。半分は質疑応答でと。その質疑応答の一部をご紹介するということにしたいと思います。

 (VTR)『YPOでの質疑応答』視聴
レジメ『人間を考える 新しい人間観の提唱』の紹介

 一節だけご紹介したんですけど、皆さまのお手元に実は『YPOでの質疑応答』という資料を入れておきましたんですけれども、そこに「ビジネスマンの責任は何ですか」と。一言でビジネスマンの責任というのを言うのは難しいですけれども、とっさに、「やっぱり愛されることやな。愛される存在、愛される仕事、そのためには何よりも、儲けることよりも奉仕、人に仕え、喜んでいただくと、そういう心が優先で、これが一番」というふうに。「それが無い人はビジネスマン失格ですな」とも言ってましたですね。
 それから次に、人間を考えるということから、人間の天命ということをおっしゃいましたけれども、「ちゃんとやってますか、お膝元は」と。松下電器の社員のことについて質問がありましたですね。私、そばで聞きながらですね、「おかげさまで上手くやっております」と言ってもよさそうに思ったんですけれど言わなかったですね。「灯台下暗しですなあ。いやいや、この人間の使命とやらを、わし、ちゃんと言うてるかな。言うてないんじゃないか。もちろん松下電器の経営理念の中には、いろんなそういうものがあるんですけれどね、十分言いつくせてないなということもあると思いますし、ちゃんとやれてるかと思ったらやれてないなあ。灯台下暗しいうか、わしが一所懸命言ってもな、なかなか応えられない、これが組織だし、松下もその一つだ」というふうに思ったんでしょうね。「灯台下暗し」ということを強く出されましたんで、ワッと座がわいたわけですね。「あれは何や。この人は本音を言ってる」と。世界各国から経営者が来てますからね。「我が国でも我が社でも、わしも実はそうや」と共感したんじゃないか、そういう笑いじゃないかと思うんですけどね。とにかくどっと座がわきました。
 それからもう一つの質問は「謙虚ですね。どういう心持ちで、その謙虚さを出しているのか」という質問には、幸之助は「いや、謙虚ということを意識しているわけではない。ただ私は、この組織の中、松下の中では一番勉強せないかん。なぜか。ちゃんと学校行ってないから。というふうなことで学ぶ心、学ぶ姿勢というのを持ち続けているように思います。それは結果として謙虚になるかもしれませんけれどね」と、そういう答え方をしておるんですね。一言で答えるというのは、松下幸之助は、こういうふうにズバッと答えるところが一つの特徴でございますけどね。この映像にはよく表れていると思いますので、ご紹介させていただきました。

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