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経営研究活動

「松下幸之助と素直な心」

「松下幸之助と素直な心」

株式会社PHP研究所
客員 岩井 虔氏

 さて、PHPの生活というのに入りまして、何からしごかれたか。私は慣れないこともいろいろあったんですけども、まずですね、その真々庵というんですけど屋敷がね、掃除することからです。千五百坪のお庭の広さがございますけれども、庭木がたくさんあれば落ち葉もたくさんあるんですね。一年中落ち葉があるなという事を掃除するとよく分かるわけですね。落ち葉のシーズンになると、みんなでやるんですけども1時間で拾いきれないくらいたくさん落ち葉が落ちる。そういう中で、「ここは道場やからな」と。「道場は門弟がきれいにするもんや」と。「頼むで」というようなことで、女性は屋敷の中。男性はお庭というふうな感じで分担しまして、一生懸命やらしていただきました。
 この掃除というのはですね、松下政経塾生にも掃除は厳しいらしいです。あそこは何の勉強するかというのは自分で考えなさい。どういうふうに勉強するか自分で考えなさい。自分で考えるところですというふうに、ちゃんと教えてくれないとこなんですね。でも掃除は必修です。もちろん自分の部屋もそうですし、塾内の清掃もありますし、茅ヶ崎市にありますけれども、地域の清掃の時にはやるそうです。海辺にありますけどね。そこで塾生たちは「なんでこんな掃除させられないかん」という。幸之助塾長に質問があります。「塾長、この塾はリーダー養成の塾として我々入ってきた。何でも自分でやれというふうに我々に主体性をもって考えろと言うのに、掃除だけは必修という」と。「リーダーシップと掃除と一体どういう関係がありますか?」と聞いたそうですね。幸之助さんは一言、「自分の身の始末が出来ないものが、なぜ組織の上に立っていいのかね」という返事だったそうです。それで分かるわけですけどね。松下幸之助さんは満9歳から丁稚に行きましたんでね。朝5時起きで掃除をしたんだ、というふうに言ってます。掃除の中身の点検も時々ご主人にされるんで、ちりとりの中に入っているものをひとつずつ、「これは捨てるものじゃない。これはあそこ置いとくもの。これはこっちに置いとくもの」というふうに選別されてですね、ほんとに捨てるものは少ないということが分かったというふうに言うんですけどね、物の有り難味、物がどういうふうに使われているのかという事を実地教育でしごかれるわけでしたけどね。我々のPHPでも政経塾でもそういう掃除というものが我々の身に大事なものなんだというふうなことを私はしごかれましてですね、水を打ってきれいにするんですけどね、お客様を迎える時には特にそうで、塵を清めて、庭木を光らせて、道路も水を打って、きれいにしてお客様を出迎えるというのが来客応対の心でございました。
 言葉遣い、お辞儀の仕方。「お辞儀はなぁ、頭下げたらいいん違うよ」と。「君の相手に対する感謝の念とか敬愛の念とか、ちゃんとそれを分かっていただくために行動するんだからな」というんですね。さぁ、そのためにどうするか、我々もほんとに教わるんですけども、ほんとに心を込めてお辞儀をしますが、ちゃんと向き直って、そして相手の目を見て、ほんとにメリハリといいますかね、それが好感度を高めるんだという、人間関係の中で我々は生きていくんだから、お辞儀の仕方一つ大事なんだというふうなことをしごかれましたですね。
 慣れないもんですからほんとにオドオドしながらやるんですけれども、来客を迎えましてお見送りのときなんかも、屋敷ですので玄関から履物を履いて門のところまで行ってお見送りをするんですけれども、私は初めは慣れないもんですから、ちゃんとそこでご丁重なご挨拶をしますんでね、車に乗って走って遠ざかったら、もう中へ入るもんだと思っていた。幸之助さん入らないんですよ。じっと立ってる。いつまで立つか。その姿が消えるまでです。門を曲がって車が消える時に、もういっぺん深々と最敬礼をなさいます。我々も慌ててお辞儀をするんですけどね、なんでこんなことせなあかん、と思いましたですね。この忙しい人が。
 私はその値打ちと言いますかね、有難さというか、その本質を嫌というほど分かったのは、実は松下幸之助が亡くなった次の日の新聞でございました。「経営の神様死す」と。平成元年の4月27日が命日です。その号外が出ましたし、次の日の28日の新聞は第1ページから最後までオンパレード。たくさんの記事が出ました。ある新聞に囲み記事でこう書いてあった。論説委員の方が書いたんだと思いますが、自分は松下幸之助さんのインタビューの仕事があって会社を訪問したことがある。仕事が済んで玄関までお送りいただいて、ご丁重なご挨拶を頂いて車に乗せてもらった。車が走り出して門のところまで来て、道が曲がってしまうので、何の気なしに後ろを振り向いた。先程お別れしたはずの正面玄関の前で、なんとなんと松下幸之助さんがこちらを向いてお辞儀をしているではないか、と。このシーンが焼きついて離れないと書いてありましたですね。それ見ながらね、あぁこの人は幸之助のファンになったな、と感じました。そんな事書いてないんですよ。私の勝手な思いなんですけれども、でもね見なければ分からない、見たから分かったんですけども、でも自分に向って最敬礼をしている姿が心に刻まれるわけですね。あぁこの人は私の味方と思うかね、知りませんけれども、とにかくそういう心を燃やすものがある。リーダーの一挙手一投足がね、人の心を揺り動かすかどうか、松下幸之助はそのひとりでございましたですね。その時に、あぁそうかと。来客応対一つ、お見送り一つ、その動作の中に、もちろん幸之助はこの人を感動させようと思ってやってるわけじゃない。当たり前の人間の姿としてやってるんですけれども、でもそういうふうなことが裏に人間の誠意といいますか、そういう心が込められる時に、見る人が見ればそれを感じる。そして人間関係が益々強くなる。そういうファンがどれだけ出来たか、と思います。パナソニックの仕事のファンになったかどうか知りませんけどね、少なくとも松下幸之助のファンになったに違いないと思うんですけどね。そういうふうにいいながら「さわやかマナー」というのをこれがビジネスマンの原点。PHP社員の原点としてしごかれたことを思い出します。良かったなというふうに思います。
 それから私は研究員でございましたので、幸之助さんが出社されたら、その日に研究があるんですね。PHP研究。PeaceとHappinessとProsperityですから、非常に幅広い研究なんですね。テーマが決まっているときもあれば、決まってないときもあるんですけれども、政治の問題、経済の問題、教育の問題、国際的な問題、宗教の問題、いろいろなものが織り交ぜて入ってくるんで、初めは本当にたいへんでした。しかも松下幸之助さんは、こう言い出す。「わしなあ、昨日、布団の中で、こんなこと考えたんや。わし、こう思うんだけど、君ら、どう思う?」と問答を吹っかけてこられるんですね。それはもう、ハプニングです。私は一番ペーペーで若かったので、上司からだいたい来るんですね。その間に考えとけばいいなということですね。ときどき「今日は若い方からやれ」ということで、いの一番に当てられて往生するけれども。その時に一番、今思うと、松下幸之助の中で言葉が多かったのは何か。「君、どない思う?」という関西弁です。「君、どう思うか」という質問が常にあるんですね。「君、さきほどニュースみてたら、台風の時に崖崩れが290件あったなあ。そう言うとったなあ。君、どう思う?」と、くるんですね。さっき確かに崖崩れが290件あったなあと言ってたなあと思うんですけど、「君、どう思う?」とこられるとですね、さあ、290件の崖崩れが私と何の関わりがあるかということで往生するわけですね、答え方が。そういうことがどんどんきますので、たいへんでした。でもそのうちにわかったことは、ああ、松下幸之助さんは私に必ずしも正解を求めているわけではない、この若造がこの件についてどういう意見をもっているか、そのことを知りたいんだなとわかってから、私は本当に肩の荷が下りました。楽しくなりましてですね、必ずしも正解でなくていいんだ、自分の思っていることをそのまま言えばいいんだ、この人喜ぶんだ、幸之助と反対のことでもですね、本当に思っている本音をぶつけたら喜ぶ人だと思ったときに、非常に気が楽になって楽しく楽しくなったことを覚えております。
 それともう一つはPHPですので、社会づくりなんですね。だから日本の繁栄譜と。繁栄譜というのは、日本がどうすれば豊かになるかという楽譜を作ろうというようなことですね。譜というのは音譜と言いますね、あの楽譜です。これをこう見てたら日本が発展する、繁栄するというようなものを書きたい。というふうなことで、PHPのその月のテーマでずっと書いて、後でそれを合本にして『21世紀の日本』というようなものにしたんですけどね、そういうことを一生懸命やりましたけれども、日本をどうすればいいか、経営者の目で見ますんでね、非常にある意味で面白いというか、政治家が考えるのとは違う切り口のところもございますからね、提案としては面白いんじゃないかなと思うんですけど、一生懸命やったことを覚えております。
 そういうことを一生懸命やらしていただきましたんですが、70歳にご本人がなられた時に、66歳からご一緒ですから4年経った時ですね「わし、これもらったんや」「古希の祝いとしてもらったんや」とひとつのペーパーを持ってPHPに出社されました。研究のメンバーにちょっと見てもらいたいというから人数分コピーしまして、研究会の時に皆に配って、「岩井君読め」というので私読まされたんですね。それは『青春』という詩の日本語になったもの、翻訳本なんですね。少し長いものでございました。非常にかっこいい訳文がついてまして、読み終わったときに「君、ええやろー」「いいですねー」。もう座に座っている研究員が4、5名いつも一緒に勉強するんですけどね、異口同音「いいですねー、これは」。『青春とは心の様相である』から始まってですね、いろいろ書いてあるんですけども、それを幸之助さんは70になった記念にもらってですね、こういうふうに考えられた。「自分と一緒に働いてきた同僚たち、そのお客様、お得意先。長くやってきたなぁと。わしも歳を感じるが、あんたがたにも何か励ましのメッセージを贈りたいなぁ。この詩、ええなぁ」と思ったんですね。「でも長すぎるな」と。「これを短くしてこれでいい、というふうにして皆さんに差し上げたい。今日はその短くする作業を手伝ってくれ」と言われまして、皆さんの手元に松下幸之助のこの筆に、これが松下幸之助の字です。『素直』という事も書いてます。左側に『青春』と、結局こうまとまったんです。読みますよ。『青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ勇気にみちて日に新たな活動をつづけるかぎり青春は永遠にその人のものである』「これでいい」というふうに言いまして。長―い文章、実はこれはアメリカのサミュエル・ウルマンという詩人であり実業家の方の詩の翻訳を持って来たんですけれども、マッカーサー元帥も大好きな詩のようでございますけれども、とにかくその詩を短く短くして自分の物にして皆さんに差し上げたという記憶がございます。「『青春』というのは、年代と違うんじゃないか、心の若さじゃないか。そのためには信念と希望、そして勇気、日に新たな活動、こういうことを志す時に、青春は生涯できると思う」というふうな感じですね。幸之助さんのサイン入りで、皆さんにお配りになったことを覚えておりますけれども、懐かしい思い出でございます。
 時間がございませんので飛びますけれど、私が研究部長になった時の話をさせていたただくと、松下幸之助の本をたくさんつくりました。いろんな面で、全部で、そうですね、私が現役の研究部長の時に30冊ぐらいはつくっていると思いますけどね。その中に『素直な心になるために』という本があるわけです。この本を書いた裏話を今日はさせていただこうかなと思います。

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