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経営研究活動

「松下幸之助と素直な心」

「松下幸之助と素直な心」

株式会社PHP研究所
客員 岩井 虔氏

 こういう所長の本をいろいろつくったことを覚えておるんですけども、私はですね、PHPでの松下幸之助のエピソードをPHP文庫で書かせていただきました。『松下幸之助 元気と勇気がわいてくる話』ということで出してるんですけれども、この中に素直問答がいろいろ入ってるんですね。一つは、素直な心で一番トップに出てくるのは私心に捉われないようにということを言うんです、幸之助さんは。企業も人間も公の人間だから、公の心を持って自他共に生きることを考えるのが筋や。しかし私心というものは自分さえ良ければという気持ちになる。私心から公心、私人から公人になっていくのが我々の仕事なんやというようにおっしゃる。そこで我々は問答するんですね。何でも聞けという事ですから。「いやぁ、それは窮屈ですね」と。「なんでや?」「我々人間には欲望がある。私心とおっしゃるが、自分を守ったり自分の幸せを望むというのは自然な人間の本質です。だからそういうものを、捉われたらいかんとか持ったらいかんなんて言われたら窮屈で」と言ったら、「で、君どうしたいんや?」と幸之助さん言うんですね。ですからその欲望というものを満たしていきたい。「それでええやないか。ええやないか。欲望というのはエンジンや」と。人間のね。「行動を促すものや」と。「大いに満たしていったらええ」と。「あれっ、さっき言ってたんとちょっと違うんじゃないですか?」と。「それと素直とどんな関わりありますか?」「いやいや君な、じゃあ君はその欲望を隣の人も持ってることを認めるか?」と。「あっ、それは認めます」「自分がそうであるように、この人もそうだろうな。それでええんや」と。「あっ、この人もそういうことを願ってるんだな。わしもそう願ってるんだなぁ。これが分かれば、自他共にその欲望を満たし合うためにはどうすればいいかというそういうことを見つけ出すんだ。その時に素直な心になる。自他共に生きることを感じる。考える。そしてその道を行く。そこを素直っていうんやで」とこう言われましてね。「あっ、そう考えれば楽ですね」というふうに申し上げたことがあるんですけど。
 もう一つはですね、こんなことも書いてあります。「所長」これは私が申し上げたんですけど、「素直な人は万人万物に学ぶ人ですね」と。「そういうことやな」と。「そのように衆知に学ぶためには、やはり聞く素直さというのが一番大切なのでしょうか」と。「まず聞く」、聞いて学ぶ。それが素直な心の行動として大事、というふうに。「そやけどな、素直な心の実践というたら聞くだけではいかんな。言う素直さもあれば行なう素直さもある。例えばここに紙くずが落ちてるとするやろ。それを見た人は汚いなと思ってもそのまま通り過ぎる人が多いわな。しかし本当に素直な人はパッと手が出て拾うかも知らんわな。素直というのはそういう人でもある」と言ったんですね。「ああ、そうですね」と。消極的に考えるか積極的に考えるかによってね、「行動を伴う素直さでないとね、本物ではないかも知らんな」と。この人はそういう事も含めて素直な心を考えてるんだなということを、それは問答のひとつですけどね、この中に書いてあるんですけども、そんなことを懐かしく思い出します。
 いろんな本を書きましたんですけども、叱られた思い出がたくさんございます。『指導者の条件』という、こういう本がある。百二か条この中に入っている。一つずつそれを点検しながら本作りをしている最中で、私研究部長だったものですから、もうそろそろ脱稿といいましてね、本屋さん待ってますしね、そろそろこれでいいと、切り上げないかん。そう申しました。「君、どう思う?」とまた来たわけですね。さぁ、どうやって返事しようかな。もう十分書き尽くしたと思うし、何度も何度もやってるうちに私は別の考え方をちょっと感じましたので、そのことも「所長、これだけ百二か条、これも素直な指導者の条件、これも素直の指導者の条件といってると、私は指導者の条件に添わんなと。指導者の器じゃないな、指導者苦手やな、指導者になれんな、そういう思いを持ってしまいます」と言っちゃったんですね。私本音でございましたけれども、幸之助の目が光りました。ディスカッションする時には膝崩してもいいんですね。でも、正座されたんですね。正座してこっちを見ました。「岩井君、今何言うた?もういっぺん言え」「はい、指導者の条件、何度も何度も読んでると、このページはわし合格かな?と。自分は合格か?そうでないな。と思うことがたくさんございまして、私は指導者としてどうなんだろう、と思ってしまうことが多いです」そうやって言い直したんですね。そしたら幸之助さんが「君な、わしも君これ全部合格とは思わん。しかし君は少なくとも研究部長に座っとる」。確かにそうなんですね、一番上座に座っとりました。「その君がなんという言い方をする」と言うんですね。そのページが「不合格と思うんなら、どうすれば合格になるかと言う気持ちでこの文章を読んで己を正していく。それが指導者の本の読み方違うか?」と言われたんです、私。その時にほんとにすごさを感じましたですね。ほんとに本音を言ったつもりですけれども、やっぱり指導者の今ポジションにいる人間じゃないか。その人間が、否定的な考え、マイナス面を見て、そして「おれはあかん」ということでいいか。「違うじゃないか、それは。その姿勢は。そうじゃなくて、このぺージに書いてあることを、己はどういうふうにすればクリアできるのか。そしてレベルを高めるのか。合格点までいけるのか、という事を考えるのがお前の仕事。それが指導者の本の読み方や」とまぁ、長くかかったように思いました。同僚に聞くと「いやいやそんな長い時間違います」と言われましたんですけども、長く長く感じましたね。ほんとに本音を言ったつもりだけれども、考え方を否定的に考えるか肯定的に考えるか。消極か積極か。積極人間というものを幸之助は尊ぶわけですね。特にリーダーの座におる者が消極であれば、組織全体が消極になる。積極的にプラス面を考えて旗を振る。そういう態度を持って過ごす、これがその指導者のあるべき姿じゃないかというふうに思われた。
 もっときつく言われたこともございます。それは違う本、これは他社で出した本なんですけれども、書き溜めて先方へ出させてくださいと言ったら、まだひっかかってたんですね。「もうちょっと置いといてんか」と本人が言って、そのまましばらく置いたんですけども、いつも一週間に二へんほど来られてたのが、二週間ほど空いちゃったんですね。で、その次出社された時に、テープを一本持って「これ誰のや、誰のや」と言って持ってきた。ご本人はこう言うんですよ。このPHPの時間では足りない時には、「その本の内容を吹き込んどいてくれ。わしにくれ。わし時間があればそれ聞くから」。熱心な方ですからね、そういうこと。で渡してあった物なんですね。そのひっかかった本なんです。私そのことを説明して「今日もしお時間があれば、ぜひそのことを直して先方さんに送らせてください」。そこから延々とお叱りが始まりました。「君、これ誰がやったんや」と。「はい、部下と私がやりました」「君はどう思ってる」「はい、もう十分所長の原稿になったと判断しましたので先方さんに送らせてくださいとお願いしたら、もうちょっと置いとけと言われたので保留してあります」「君な、部下と君が一生懸命やったものを、責任者の君がいいと判断したものを、わしがいっぺんや二へんあかん言うたかて置いとくやつがあるか!」って言われたんですね。この時ちょっと腹が立ちました。「所長、それないよ」と。「違うんじゃないか。あなたが決裁者や」と。「私勝手にこの原稿送っていいですか、松下幸之助の名前で。違うでしょ」思いました。言いませんよ。言いませんけど気持ちがあるからやっぱり顔には出てますよね、雰囲気として。幸之助はこう言う。「君なぁ、君わしの補佐役や。補佐役が動かなければわしの仕事は前進まん。君、わしいったい何歳と心得る」。もう80超えてらっしゃいました。「わし、明日死ぬんやで」と。「そのことを考えながら補佐をしてくれてるか」。いやー、参りましたですね。わし明日死ぬんやで、と言われました。それを考えながらお前わしを補佐してくれてるか。この本を、ちゃんと原稿作りをしてるか。この2週間お前何しとった、ということでしょうね、おそらく。小さな仕事であれば、車に一緒に乗って直していただいたり、お声をいただいて直したりするんですが、本ですのでね、もう初めから終わりまでだいたい4時間5時間かかります。そういうものですのでやっぱりPHPに来ていただいた時でなければ、というのが私の気持ちだったんです。それは私の思いなんですけれども、幸之助さんはそういうことをしなかった。わしに声をかけなかった。「わし明日死ぬんや。それを思いながらお前は補佐してくれてるか」という、この耳に痛い言葉はね、こんな言う人いないなと今になって思います。「わしがいっぺんあかん言うたかて置いとくやつあるか」なんて叱る人いるでしょうかね。ちょっといないと思うんですけどね。でもそうやって非常にこう今になったら強烈な思い出なんですね。でもそれによってしごかれて、そして我々は育っていくんじゃないかなと思うときに、あぁそういう叱り方ができるというのはすごいなというふうに、後になって思うんですけどね。そういう懐かしい話がたくさんございます。

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