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経営研究活動

「松下幸之助と素直な心」

「松下幸之助と素直な心」

株式会社PHP研究所
客員 岩井 虔氏

 ある時、非常に面白いお話をなさった方がいまして、それはこういう話なんですね。ある部長職の方がですね、病気になって病院に入ったと。大部屋に入って夜の検診にお医者さんが来てですね、患部を当てるのに懐中電灯で当ててた。片手しか使えないのでちょっと不自由だった。看護婦さんもそうだった。そこで、これは松下の出番じゃないかとその部長さんは考えました。両手を離し患部に光を当てることはできないか。できるん違うかということで、懐中電灯をですねフレキシブルライトというのを考案して提案したんですね。そしたらそういうものは仮にあったそうですけれども、もっとやっぱりお医者さんとか看護婦さんの白衣に付けるものでないとやっぱりあかんと。いうことで、キャッチボールしたそうですけれども、いいものができましてね。それで第一号を提案者に、事業部から第一号の報告があった時に、その方は癌で入ってらっしゃったんで亡くなってたんですね。それで御家の仏壇に供えたということ言ってました。そういうことを話をされたんで「あぁ、いい話やな」と、これ幸之助さんに言うとこと思って申し上げた。喜びましてね。「ええなぁ、これは。すぐ書こう。社内報に載せよう。PHPにも書こう」と言って、PHPに書いたことがございますんですけども。先ほどの本の最後のエピソードがそれなんですね。こういうこと言うんですね、幸之助さんは。こういうふうに書きました、PHPにですね。白井さんという人の話ですけど。このS君、というふうにSと書いてある。
 『S君の話を知った時、思わず知らず目頭が熱くなりました。昔ならばともかく、今の58歳といえば、まだまだこれからの年齢です。にもかかわらず病に倒れざるを得なかったS君の胸中は如何ばかりであったでしょうか。奥さんはじめご家族の方々のお気持ちも察するに余りあります。そんななかでS君は、死の寸前まで、自らの仕事への情熱を燃やし続けられたのです。仕事には、何にも増して熱意が大事、と僕は折あるごとに考え、自分にそう言い聞かせると同時に、社員の人達にもそのことを説いてきました。しかし、病床の不安と苦痛の中にあって、本当に生命の炎が燃え尽きるまで、製品の改良に取り組んだS君の話を聞き、文字通り絶筆となった提案の手紙をこの目で見て、心から頭の下がる思いを味わいました。いわゆる“人生を生き切る”というのは、S君のような生き方をいうのではないか、という気がして、非常な感動を禁じ得なかったのです。私たちは誰でも、いつ自分の生命が尽きるかはわからないけれども、その瞬間まで、なすべきことをなしつつ生きていきたいとの願いを持っていると思います。しかしそれを、実際の人生において現実のものとしていくことはなかなか容易なことではありません。ぼく自身も90歳を目前にして、そのことのむずかしさを時折に感じていますが、そんなお互いにとってS君の生き方は、大きな得難い励ましを与えてくれるものと言えるのではないでしょうか。そんなことで、ぼくはいま、S君のご冥福を心から祈りつつ、自分もほんとうに人生を生き切りたいものだ、と改めて感じているのです』これは幸之助のPHPに書いた文章なんですね。S君の話を聞いて自分が何を考えたか、感じたかということをありのままに素直に文章にしておりますけどね。こういうふうに「良かったなー」と思ったらほっとかない。分かち合う。知ってもらう。そして共有する。これが幸之助の生き方だったように思いますね。
 ある日、PHPゼミナールというもののところへ突然入ってきたことがあります、幸之助さん。今から映像をちょっとみていただきたいと思いますのでね。それ、ビデオ撮れといって撮ってもらった白黒の映像で、そう良くはないんですけども、こんなことを言っておりました。

(VTR)『「PHPゼミナール」にかける私の夢』視聴

 その経営理念勉強会で、松下の幹部に本読みになったらいかんと。やっぱり時代が変わってるからその時代を見つめて対応する。また自分ひとりひとり個性がある。その個性に照らしてほんとに自分の信念としてやらないとな、活きない、理念というものはね。ということで、人真似ではいかんのだということを言うわけですね、そういうことを一生懸命。型にはまったら何にもならん。自由に、自主的に、自分に応じて、時代に応じて新しく考えてよ、と。わしも丁稚奉公からいろんなことを勉強してきた。でも何か発想する時には新しく発想した。その中に今までの学びが滲みこんでるわけですね。だからこの人の言うとおりやればいいんだなということじゃなくて、この人はこういうふうにやったんだな。じゃあわしはどうする。この時代にどうする、ということを改めて考えて生きるということを、幸之助は言いたかったんですね。
 幸之助さんは平成元年に亡くなりましたんでね、もうずいぶん経つわけです。30年近く経つわけですけれども、その間にいろんな事があったんで、ちょっとだけ私の印象に残ってるものをまずご紹介しますと、この本なんですね、英語のね。『MATSUSHITA LEADERSHIP』この人が書いた。JOHN P.KOTTER(ジョン ピー コッター)というリーダーシップの教授です。この人が松下幸之助を研究してですね、そしてこれが幸之助のリーダーシップ論だと書いてあるわけです。この人はどういう人かというと、ハーバードのビジネススクールの先生です。その人がアメリカの中では一番のビジネススクールといわれておりますけれども、その先生が幸之助のテキストを作っている。それが翻訳本としてはこうなってます。ダイヤモンド社から『幸之助論』(『「経営の神様」松下幸之助の物語 幸之助論』ということ。この中に幸之助がやってきたことを外人の目から見て、これがやっぱり大事なとこやなぁというふうに書くわけですね。
 一言で書いてあるんです。後ろの方にまとめてあるんですがね。幸之助さんの一番のすごさは何か。頭の良さでも、教育環境でも、カリスマ性でも何でもない。彼が学び続けて人生を終えたこと。死ぬまで勉強したこと。これが一番あの人の成功に結びついている。21世紀に生きる我々は、そこをこの人から一番勉強しよう。その生き方にポイントがある。まず人間が謙虚であること。二番目に、心が開かれている。素直であること。三番目に人間は失敗する動物であることを知っている。リスクがあるんだ。失敗してもええんやと。失敗は授業料だと思え。そういう事をよく知っている。四番目に、人の意見を一生懸命聞く。傾聴する。耳を傾けて聞く。そういう姿勢。最後に、自分自身をしっかりつかんでいる。自分の長所欠点をつかんでいる。これが94で死ぬまで学び続けた姿勢の要素であると、作ったポイントであるとおっしゃってるんですね。面白いなと思うと同時に、外人のリーダーシップの先生がね、幸之助の一生を見ながら「そういうふうに分析されたか」というので、非常にこういいなぁというふうに今でも思っている本でございます。
 外人といえば、私PHPに入った時に、こういう『タイム』(米国『タイム』誌 1962年2月23号)という雑誌のカバーマンといって表紙の絵になった。日本人では4人目だそうですけど、日本を代表する人物だなぁと。ここには「無から世界一の電気工場を作った男」という紹介もありますし、「ちょっと悲しい目をした男」なんて。それからタイム社で同じ『ライフ』(米国『ライフ』誌 1964年9月11日号)という写真誌がございましてね。これもその次に出てきた。この中に日本特集があり、松下幸之助特集があるんですが、そこに五つほどニックネームをつけてるんですね。ここの写真は真々庵というところに白砂と杉木立のスペースがございましてそこで写した写真なんですね。五つほど「Top industrialist」経営者として素晴らしい。「Biggest Moneymaker」お金儲けが上手い。「Philosopher」物の考え方が深い。思想家である。「Magazine Publisher」PHPの雑誌をずーっと出し続けている人。最後に「Best Selling Author」この人の書いた本は、ベストセラーで売れる。そういうふうなことが書いてある。この中にPHPの研究風景が。こういう座敷でやってた。実はこれが私なんですね。30になる前の写真が。そういえばここにおったなぁと。一緒にディスカッションしてる、と思うんですけど。こういうことをですね、最近出した本がこれです。東洋経済(『週刊東洋経済』2016年9月3日号)。2016年ですからもう一昨年になりますね。9月3日号に「不滅のリーダー、松下幸之助」と、50ページほどの特集号が組まれております。何が入っているかというと「道をひらく」という本が500万部を超えて出ていると。幸之助の本がなぜこれだけ売れ続けているのかという事を中心にしてずっと書いてある。改めてここに取り上げられて、私もここに載ってるんですけれども。ぜひこういうふうなことを知っといていただければと思います。
 いろいろ申し上げたいのですが、質疑応答のときに申し上げることにして、最後にちょっと時間過ぎるんですけど、映像をもう一本観ていただいて終わりたいと思います。60周年の時に幸之助は、枚方の体育館で松下グループの幹部7千人を集めて、経営方針発表会。社長の話があり、会長の話があり、創業者であり相談役である自分の話がありました。その時どんな事を言ったか、ちょっと聞いていただきたいと思います。

(VTR)『60周年 感謝の礼』視聴

 これだけなんですけどね、この時も松下がもうひとつ成績が良くなかった時代。幸之助さんお小言をいいました。「ここに集まってる人達よ、頑張ってやってくれてるかね。まだまだ新しいことが生まれてこないのは努力不足と違うか」と言ってお小言を言われたんですね。私は座ってましたけれども、ちょっとハラハラしました。60周年のお祝いで、全国から集まった方々に、お小言だけでいいのかなということで時間が過ぎてしまいますんで心配してたんです。そしたら最後の最後にこういうシーンが出てきて、60年間ありがとうということを、3べんの最敬礼を従業員にしたわけですね。やっぱりその時に雰囲気が変わりましたですよ。ああ、やっぱりこの人と仕事をしたことはいいんだなあと、よかったなあという気持ちにさせている。それはやっぱり感謝と期待の念というのが、やっぱり通じてくるわけですよね。上に立つものがほんとに素直であり感謝の念をこうやって最敬礼しているという、そういうふうなことがやっぱり幸之助なんだなぁと。我々もそういうスピリット、そういう姿勢で人生を生き、仕事を進めていければいいんじゃないかと思わせられましたのでね、最後にこの映像を観て頂いて、私の話はだいぶ過ぎてしまいまして申し訳ありませんでしたけれども、これをもってひとまず終わらせていただきたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。

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