名 称 | 「『日本資本主義の父』渋沢栄一に学ぶ」 |
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実施日 |
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講演テーマ/ 講演者 |
「現代に生きる渋沢栄一 ~企業経営と倫理」 公益財団法人 渋沢栄一記念財団 渋沢史料館 館長 井上 潤 氏 |
講演会概要 | 多くの近代企業の立上げと推進を成し遂げた「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一氏。その歩みは、価値観の多様化が進み、混沌としている現代社会を生きる私達に、指針とすべき数多くの知恵を提供してくれる。 特に、企業活動と道徳は相容れるものであるとした「道徳経済合一説」は、近代日本の発展に大きく貢献した考え方であると言える。後の経営者である松下幸之助も「道徳は実利に結びつく」を基本において経営を行なった。 近来重視されているコンプライアンスに焦点を絞り、企業の倫理・道徳性と経営のあり方について考えるべく、渋沢栄一氏の物の見方・考え方を紹介する。 |
講演要旨 | 500近い近代企業の立ち上げと推進を成し遂げ、企業倫理の実践を提唱した渋沢栄一(天保11〈1840〉~昭和6〈1931〉)は、混沌としている現代社会の中で、企業のあり方の原点を見つめ直すべく、近年非常に注目を浴びている。渋沢は単なる実業家、経済人ではなく、社会福祉や医療、教育、民間外交、文化的な記念事業など約600の社会事業にも幅広く携わり、社会貢献事業の先駆的役割も果たした。 渋沢は養蚕や藍玉の商売で財を成した家業を手伝う中で、経済のノウハウを身につけ商売の勘を養ったと考えられる。その後、徳川五三卿のひとつ一橋家に出仕し、江戸幕府15代将軍徳川慶喜の弟昭武に随行して幕府使節の一員としてパリ万博に赴き、最先端の技術や近代的な設備とともに資本主義(合本(がっぽん)主義)の姿を学んだ。のちにその新しい制度を日本に導き、近代化・産業化を推進するなど、徹底した実践主義の人であった。 今日、最も注目されている渋沢の思想「道徳経済合一(ごういつ)説」は、明治42(1909)年以降、渋沢が経済界からの実質的な引退を機に強く主張するようになったものである。その背景には、明治の新制度が安定し、日清・日露戦争に勝利した中で、若い世代に立身出世・個人の利益を求める風潮が強まったことがある。渋沢は青年層に対する処世術として、大正5(1916)年に出版された著書『論語と算盤』で、経済活動における道徳観・倫理観の重要性を説いている。富を成す根源は仁義道徳であり、道徳と経済というかけ離れたものを一致させることが企業の務めである。さらに個人の富は国家の富であり、私(わたくし)の利益よりも公(おおやけ)の利益を第一とすることを訴えた。 このころ、論語を道徳、算盤を経済ということばに置き換え、道徳と経済の合一を、普遍化した概念として伝え始めている。江戸時代の学者によって、商いは賤しく道徳からかけ離れたものであるかのように歪められたのだが、渋沢はある演説の中で、「仁義道徳と生産殖利とはまったく合体するものであり、正しい利益追求を説いた孔子による論語の教えをもってみずからの活動を進めたからこそ自分は大過なく過ごすことができたのだ」と語っている。一方で、世の中の発展と道徳的観念の成長は必ずしも比例するわけではないことを指摘し、皆が富むに際しては道徳が不可欠であることを強く訴えている。 渋沢栄一は、世の中の近代化を推進するために、全体を見渡す組織者・オルガナイザーであり、また私の利益ではなく、公益の追求者であった。政治よりも経済を優位に考え、民間が政界・官界の活動を補完するだけでなく、むしろ先導する役割を担ってこそ国の発展や国際社会への貢献が果たされるのだという渋沢の思想は、企業の公益性が強く求められる現代において、まさに私達の指針となるべきものだと考えている。 |
※肩書は当時のものを掲載しています。