松下資料館とは

館長からの
メッセージ

「丁稚奉公(でっちぼうこう)」から思ったこと

 松下資料館に来られた若い方々に、「父・政楠(まさくす)が、当時流行っていた米相場に失敗して破産したため、松下幸之助は9歳の時に大阪船場で丁稚奉公をすることになりました。最初は宮田火鉢店、3ヵ月後に五代自転車商会に移りそこで奉公を続けました」と説明すると、ほとんどの人がポカンとした表情で聴いていることがよくあります。なぜポカンとしているかというと、「丁稚奉公」について知らない、わからないからなのです。「丁稚奉公」について調べると、次のようなことが書かれています。

  • 「丁稚」:職人・商人の家に年季奉公をする少年。小僧。
  • 「奉公」:(主人の家に住み込んだりして)主人に仕えること。他人に召し使われて勤めること。
  • 「年季」:奉公人を雇う、約束の年限。

(岩波 国語辞典より)

 このようなことをできるだけわかりやすく若い人に伝えるのですが、さらには丁稚奉公の小僧さんがどんなことをしていたかがわからないと言われます。同様に、松下幸之助が考案した「改良アタッチメントプラグ」「2灯用差込みプラグ」とはどういうものかもわからない。「壁にコンセントがあるじゃないか。どうして天井からぶら下げた電球の横から電気をとる必要があるのか」と。時代背景も含めてわかりやすく説明をしていると、それだけで限られた講話の時間がどんどん過ぎてしまいます。肝心の松下幸之助の物の見方・考え方についての話がなかなか前に進まない(笑)。

 ある大学の教授が、松下資料館にゼミ生を連れてくる前に、「松下幸之助を知っている人は手を挙げてください」と聞いたところ、一人も手を上げなかったので大変なショックを受けたと仰っていました。
 "経営の神様"と言われた松下幸之助は、時代とともに忘れ去られることになるのでしょうか。

 毎年、多くの新入社員、大学のゼミ生、さらにはインターンシップの大学生(大手の企業さんが連れてきていただいています)が松下資料館に来られます。松下幸之助の物の見方・考え方を紹介すると、彼らの目に輝きを見出すことが多くあります。「感動した」「こんな事を考えたこともなかった」「これからの人生を真剣に考えてみたい」という声をたくさんいただきます。"松下幸之助が若い人の心を揺り動かした"、と思えることが今までに何度もありました。

 年配者の中には、「松下幸之助は古い」とおっしゃる方がいます。いやいや古いのではなく、松下幸之助のことを知ってもらう機会が少なくなってきたのだと、経験上大いに反省をしているところです。知識・技術・ノウハウばかりが偏重されている混迷した現代において、松下幸之助の社会を良くしていきたいといった物の見方・考え方はもっともっと知ってもらわなければならないと思います。特に、これからの社会を担っていく若い人達に向けて、松下幸之助の考え方に共感してもらう努力を怠ってはならないと、痛切に感じている今日この頃です。

11月に来館された大学のゼミ生のみなさん
「人生も経営である」というテーマでお話をしました

みなさまのご来館をお待ちしております。

公益財団法人 松下社会科学振興財団
松下資料館 館長 遠藤紀夫